Cloudy Eyes~涙でモノが見えません大佐!~
さて、アンコール待ちは、最初は立ってましたけど、足があまりにも痛いので途中から椅子に座って手を叩いてました。すると京介さん、メンバーを連れて出てこない。付いてきたのはキーボードさんだけ。何するんやろう?と思っていると、キーボードの斉藤氏の紹介と、「キーボードだけでやるっていうのは初めての曲」というCLOUDY HEARTが流れました。
ああ。
またまた大御所のお出ましだ。
ティッシュは沢山持ってろと言っただろう!
泣かないバラードなどないのだよ。
(以上、鳥肌中将with拡声器の声でお送り致しました)。
このCase of Himuroバージョンは、俺様は別にCD聞いて泣いたりしなかったんですが、セロリさんが夜中に一人で聞いて号泣したと言っていました。そして今、ヒムロックが改めてこの歌を歌う声を聞いて、俺様は思いました。
俺様はBOOWYを否定したかったんじゃない。
BOOWYがもう解散してしまったバンドなんだっていうことを、認めたくなかっただけなんだ、と。
自分でも感心しましたよ。そうか、俺様は解散を認めたくなかったんだ、なんてね。まあ、BOOWYはリアルタイムで好きだったバンドではないから、そんなにそんなに執着心があるわけではないのだけど(BOOWY vs 安全地帯なら、絶対安地の勝ちです)、やっぱりそのリアルタイムで見れなかった悔しさっていうのかな。
なんで解散しちまったんだよッ!ていう怒りっていうか何と言うか。それを久々に実感して泣きました。
そしてこのお涙頂戴100%なバラードが終わると、バンドメンバーが出てきて、ヒムロックが改めて紹介します。そして「魂を抱いてくれ」。これも非常に懐かしいですね。
それは自前の服か?!
というくらいオモシロオカシかった衣装で撮影したくせに、
Captured Clips にも100152 にも収録されていないあの素晴らしいPVが思い出されました。ついでに、これを当時カラオケで歌ったら、御本人登場のビデオ(要はPV)が流れ、歌うというより
コーラを吹きそうになったのも懐かしい思い出でございます。
しかし、京介さんが2曲だけで舞台袖に引っ込んでしまったので、ヲイヲイ、それで終わらせるつもりかよ、と思いながらアンコール2を待ちました。勿論足は死んでますので、椅子に座ってます。そしてかなりの間があって、ヒムロックがバンドを従えて出てきました。体力にはあまり自信がないらしい京介さん、
舞台袖で死んでないか?とか、
酸素吸入してないか?とか色々憶測は飛び交いましたが、やはりかなりお疲れの様子。MCでも
「今日は調子悪いかな」
などとイケシャアシャアと言いおりまして、こちらは思わず仰け反りましたが、俺様たちオーディエンスはやたらと感謝され、最後の「もうゴチャゴチャ言ってねーで、行くわ!」のシャウトと共にKISS MEが始まりました。ここからはもうメジャー曲3連発なので、オーディエンスの方も暴れまくってたような気がします。コーラスもやりましたよ。歌詞覚えてないところあったけど(死)。ラストがSUMMER GAMEというのが肉いアンチクショウでした。
確かに夏だよな!夏!
で、勿論これが最後のアンコールとなったわけですが、後ろの方ではまだアンコールコールをしてる元気な人々がいました。俺様はもうスクリーンを流れるクレジットを見て「もう終わったな」と思いましたんで、諦めていましたが、クレジットは全部見ました。ここでも今までのツアーの写真などをズラーッと見る事ができました。それを見たセロリさん、涙目で"These
are the ones I couldn't go."とボッソリ言いました。俺様はBeat HazeのZEPPツアーというものにラッキーなことに行っていますが、セロリさんにとってはこのCOHが初めてのコンサートでした。それを思うと、ソロデビューから今までずっと聞き続け、見続けてきたヒムロックとの15年間、俺様たちには「あり得たはずの15年間」だったのだなと強く思いました。俺様にとってそれはイギリスでの10年と、帰国してからの5年であり、それぞれに感慨深いものがあります。
はい。ライヴは終わりました。長くて短かった4時間でした。俺様たちの眼は涙で腫れ、空腹すぎて死にそうであり、喉がカラカラでした。ですが俺様は
チェキを取り戻さなくてはなりません。没収されたときに、「Cゲートで」と言われていたので、開演前に俺様はE5ブロック近くにいたオニイサンを捕まえ、「Cゲートって、ここからどこですか」と尋問しておきました。オニイサンによると、ちょうどステージの裏側あたりにCゲートなるものがあるそうなので、とにかくE5ブロックから左手の階段を上って2階の廊下に出、あまりにもの足の痛さにノロノロと歩いて行きました。それでもなかなかCゲートなるものに辿り着かないので、かなりイライラしてきた俺様でしたが、大きな出口のようなところに出た時、何かを喚いているオニイサンたちが見えました。どうやら、カメラなどを預かってるところのようです。そこはストリクトリーにカメラを持っている本人しか入れないようなので、俺様はセロリを待たせて
あの呪いの黄色いキップみたいなのを持ってチェキを奪還しました。そこからは、「はよ帰ってきて下さい」と添乗員のオニイサンにも言われてるし…と、まっすぐにバス専用駐車場に向かいました。
ただし、歩くスピードは亀ナミです。
一歩一歩が辛い。こーんーなーにー辛い目に会ったのは久し振りです。
セロリさんはスタスタと歩いていきますが、俺様はノロノロと歩いているので、途中待ってもらったり、荷物を持ってもらったりせねばなりませんでした。そして、どこにも寄り道することなくバスに辿り着きますと。
まだ皆戻って来てねえー!
しかも後から帰って来る人には、用意周到なことに
ロッテリアで夜食を購入している羨ましい人などがいたので、くそう、俺様ももうちょっと休んだりドリンク買ったりしながら帰ってくればよかった、と思いました。
しかし、多分ライヴの後は腹減るだろう、と思ってくるみのパンを残していたので、最初のSAまではそれを食べて凌ぎました。
バスに皆が戻りますと、まだまだ人ごみで一杯のさいたまスーパーアリーナやその周辺を後にして、ツアーグッヅが配布されます。我々はグッヅを確認しながら、Eブロックで俺様たちの前にいたカップルが
やたらと大人しかったという世界不思議発見なことについて検証してみたりしました。
俺:「あれって絶対Case of HIMUROだけ聞いた人か、シングルしか知らん人たちやろな」
セ:「んー」
俺:「なんかさ、
曲がはじまるたんびに『これ何やろ』みたいな感じやったやん?」
セ:「でもそんな人がこんな(15周年記念)ライヴに来るか?しかもあのエリアやったらFC枠の席やで」
俺:「もしかしたらシーカレがエエかっこして高いチケ落としたんかもしれへんやん」
セ:「んー。でもなんつーか、多分、あの二人は
隣にいてた子連れの夫婦の凄さに引いていたんだと思うよぉ」
俺:「そんなに凄かったんや、あの夫婦さん」
セ:「もう物凄かったよ」
俺:「で、
あの子供はコンサート中どうしてたん?」
セ:
「寝てた」
俺:「くっはあー許せねえガキだあー!」
セ:「そんなことより、スタンド席の階段上がって行ってる時、『
これから焼酎どうですか!』とか言うてる人らいてたで」
俺:「これから焼酎?!グハッ、なんてツワモノなんだ」
セ:「なんかな、『オンザロックはどうですか』て一人が聞いてて、相手が『
ロックは好きですよ』言うてカタカタ笑ってた。それ聞いてゆっさゆっさ揺れたわ」
等々。
そして添乗員のオニイサンが、これから止まるSAは4箇所、だいたい行きと同じで2時間おきぐらい、ただし最初のSAで夜食をとる時間を長く取ってから以降は、消灯となり、SAもトイレなどに行きたい人だけ行ってもらうと説明してくれました。
俺様はセロリと席を替って貰い、窓際に座りました。とにかくブーツを脱いで、足を上げるところが欲しかったワケです。しかし、この席で皆さんが長距離バスに乗ったらそうするようにシートを後ろに倒して寝ようとウトウトしていますと、後ろから
頭を小突かれ、
寝返りがうてないからシートを倒さないでくれ。
と
意味不明な要求をされました。
お陰様で、俺様たちの前の席のカップルも思いくそシートを倒しているというのに、俺様だけ
とても姿勢の良い格好で眠ることになりました。
最初のSAまでウトウトした後、俺様たちはSAで降りてセロリさんは何やら食べ物を買いに行きました。俺様はトイレに行き、ドリンクを買ってコタバを吸っていましたが、店の中から出てきたセロリさんは不満そうに「肉まんとかしかない」と言っていました。近くの自販機に、フレンチポテトみたいなのがあったので、「300円もするのかー高いなあ」と言いながら俺様用に買いました。自販機モノですから、冷やしてあるのを暖めるくらいのものなんでしょうが、ジャガイモというものは
熱けりゃどんなもんでもウマイってな感じでして、美味しく食べさせて頂きました。後はドリンクをちゃんと買って、バス内で睡眠のためのお薬を飲めばOKです。さすがにセロリさんも、「もう疲れた。死ぬ。寝る」て感じで、結局俺様たちはこの最初のSA以降、新大阪に着くまでグッスリ眠っていました。
新大阪に着いて解散しても、俺様の足は数時間程度ではマシになりません。そして朝ということでこれまたお腹が減るので、「どっかで朝食とか食べようよぉ~」と泣き言を言う俺様を尻目に、セロリさんはどんどん歩いていきます。ただし、新大阪の切符売り場近くにあるキオスクで、スポーツ新聞買い占めることはできました。スポニチ、サンスポ、デイリー等を買ったような気がします。何やら大阪では阪神のサヨナラゲームに沸いたようでしたが、「そうか、クージーが頑張ったのね」てな感じで、地下鉄御堂筋線に揺られながら姉妹で芸能欄を探しまくりました。ある新聞は写真つきでCOHのことを載せてましたが、殆どがドリカムとRip Slymeのライヴのことに注目してました。そら5万人は多いわ。でもな。
よーく考えてみて下さい。
もう日本にもいない、
滅多にテレビにも出ない、
キャリア15年以上のアーティスト、
その男一人のためだけに全国から
三万人、集結したワケなんですよ。
これはある意味、ヒムロックなりの凄さだなァと思いました。
99年末のZEPPツアー最後を飾るZEPP大阪で、布袋あたりが「アニキ」と呼ばれているのをそのまま転用してヒムロックに向かって言った客に、
「俺はおめぇのアニキじゃねぇよ」
と答えた男、氷室京介。調子悪い言うてましたけどまだまだ健在です。
Higher Than Heavenツアー、セロリはまた参加できねーけど、期待してるぜよ!
で、難波に戻る途中、親父に電話すると朝起きているらしいので、難波まで車で迎えに来てもらうことにしました。いつもならなんばCITY南館の近くで拾ってもらうんですが、そこまで歩けないので、高島屋の近くで待ちました。朝早いので、産業道路はすいていたし、駅前のコンビニで朝ご飯も買って帰りました。
帰宅すると、もう汗ダラダラなのでくそ暑いゴルチエのトップをとにかく脱ぎました。
シャワーを浴びて、足の血行を良くして、さっそくCOH記念Tシャツに着替えて朝食を食べ、母親の布団の上でバタンキュー。
しかしセロリさんはインデーズバンドのライヴに行くため、昼の約束に向けて再び出発。何やら打上げパーチーにまで呼ばれているため、オールして翌朝帰りなんだとか。若いっていいですねえ。俺様はもうダメっす。ずっと死んでました。