「私の記憶は、80分しか、もたないんです。」
引越し業界CMで有名な「キリンさんが好きです。でもゾウさんの方が、もっと好きです♡」に続き、
どんなシチュエーションでも言える、否応なしに電話というものと付き合わなくてはならない人たちには救世主-メシア-的名言
が最近またひとつ増えました、寺尾聰さんの代表作は?と訊かれたら迷わず「
西部警察のリキさん」と答えるであろう黒澤映画ファン失格者、ベンモントです。
昨日、中途半端に途中から見た島田伸介司会の番組のクエスチョンは全問、冒頭の台詞でごまかせるなと確信しました。そんな俺様は、電話嫌いなのに職務時間の殆どを電話2台に齧り付いて過ごさなくてはならなかったいつぞやの職場で(現在センター試験を前に絶賛営業停止中……さて誰の首が飛ぶんだろう)、「もうキレたら絶対に『キリンさんが好きです云々』て言うたんねん」と100回以上思ったとか言います。電話に出る時女性は声が高くなる、
そんなこと信じてたら痛い目に遭いますよ、某テレビ番組さん。
前置きが長くなりましたな。いやいや、電話についてはもうね、J.コバーン大先生プロデュースな最高傑作映画『シークレット!シークレット!』が全てを語ってくれてますんで、見つけられたら一度見てみて下さい、とか言いつつ一日中喋れそうな俺様なのですよ。
見逃してくれ。
だって、
こっからの話はもっと何かどっか世知辛いからな?
そう、なぜ俺様にとって「振り向けば…」が大して響かないか、という話ね。
木曜日に母者と精神科の後、色々とハナシつけたろやないかい、なことになったからここでもスッキリさせたいと思います。
まあ多分、
全く響かないことはないだろうと思うんやけどね。
そんなに「絶対出してほしい」と拘ったワケでもないし、
しうじ父のように聴いて泣くでもなし、なんだろうなーと。(いや知らんけど)。
だって、俺様ニセ外国人だもん。
確かにシルビアさんとは違って、俺様は小学校だけは日本で入学もしてるし卒業もしてるけど、ウチの小学校なんか、私立中行くって決まった人間には冷たかったしね。
マトモな春の思い出って、多分その受験に受かった私立中の入学式くらいでしょうよ。
(それでもクラス写真
サイテーな表情で写真になってたしな、俺)。
平たく言うと春に人生のナンチャラがあんま無いんだよ、俺様には。
中学、高校と、
クソおもんねぇイングランドの片田舎学校で過ごしたから何もオモロいことなんかなかったし、そもそも『卒業式』なんてねぇんだよ、あの国には。
だってGCSEsが『中学卒業認定兼高校入学』試験みたいなもんなんだぜ?落ちるか受かるかなハナシじゃねえのよ。
しかもAレベルという、これまた『高校卒業認定兼大学入学』試験みたいなもんをやる『高校』は、2年間しかねぇし、皆3科目まで絞るからダチと校内で会うこともなくなったりするし。(オックスブリッジ進学者は他の誰よりも先に合否が決まるしね)。
確かに『終業日』(Leaving Day とか言ったっけ?)てのはあったよ。
でも俺様の学年ってやたらと醒めててねぇ、
この日を上手くサボること
しか考えてなかったよ、皆。
それに、秋から始まる向こうの学校で春と言えばイースター、要するにビッグな休みを挟んで試験への準備期。
ロマンもへちゃらもありゃしねぇ。
確かに一応北国だから春の訪れってのはクロッカスが咲き始めたりしてから嬉しいもの。
でも、日本の桜のような侘び寂びはない。
だってあっちの桜、一ヶ月くらい持つし。
儚さなんて1mmもないんだわよ。
ただ、俺様個人にとって桜は少し重要なイメージがあります。
それは、グラ大の、哲学部のあるWest Quad に桜が植えられていたから。
グラスゴーはちょうどイングランド北西部から一ヶ月くらい遅れて花が咲いたりするんですな。
だから桜が咲くのは、5月頃。
5月というとグラスゴーはMayfest をやるし、要するにそういうウキウキな時期。
4回生とかは試験に向かわないといけないことを省いたらね(死)。
風の強い、あの丘の上にあるメインビルディングででっかく咲き誇る桜は、それはそれは見事なものでございましたよ。
そしてそれが風に吹かれても雨に殴られてもずっと咲いてる。
俺様のことを日本人だと判ってる人間は、たまに「あそこにゴザ敷いたら、花見できそうやね」って言ったり。
そんなもんかな。
大学に限って言うと、春は卒論の季節。
シルビアさんのブログでも見てやってくれたまえ。
だから俺様の大学では、
確かに別れの季節でもあったよ。
卒論を完成させて提出することが、卒業試験を受ける資格を得る条件だったからね。
「なんでここまできて諦めるの、勿体無いよ、提出さえすれば卒業試験は受けれるんじゃん」
なーんて、Mature Student (歳がいってからまた大学に来る生徒さんのこと)の戦友に長々と電話したこともあった。そして確かに、俺様が知ってた人ばかりがここで脱落したさ。
でも「卒業」と言うなら俺様にとったら夏と冬。冬は夏に卒業できなかった人のためだし人数も少ないから、「おーこのクソ寒い中ご苦労さんだ」とか他人事のように思ってたけど、夏でも7月中旬でグラスゴーじゃ天候の保証なんてナシ。俺様の学部の時はラッキーなことに晴れたけど、フラットメイトの学部の日は見事に大雨でした。
Come in, come out of the rain,
Step in, step out of the rain.
日常のいつもが、Waterfront の歌詞そのまんまでした。
だからグラスゴーを離れる時、敢えて高速に乗らずにクライド河を渡ってもらいながら、Waterfront を車内に響かせてやりましたよ。
それが、俺様が唯一、他人に語れるイギリス滞在期の話。
このクソな人生で多分一番、幸せだった時。
色んな理由があって院に進めない、自分の夢は多分現実にはならない、と諦めた時でもあったけども、唯一自分のしてきたことに納得して喜ばしいと思った日、それが俺様の大学の卒業の日でした。
そしてそれは「別れの日」という意識ではなかったんですね、不思議と。
なんかね、向こうの大学出ると、「いつかどっかでテメーらと会うかもしんねぇな、それまでABAYO!」みたいな感じやったんです。知ってるヤツも知らないヤツも、バラバラになるなんて思わなかった。ああいう社会だから、絶対どっかで会うやろ!そんな感じがしたし、今でもそう思うことがあります。
なのでね、俺様にとって「別れの日」というのは、
渡英した日なんですよね。
俺様は、中学受験するしないは選ばせてもらえなかったけど(笑)、どこ行きたいかは選ばせてもらえたんです。で、なんでかミッション系ばっかり候補に挙げられて、クリスマス礼拝を見に行って「ここがええなあ」って決めたところに入った。
だから、88年の12月21日に渡英してるんやけど、これは俺様のクリスマス礼拝が終わるまでギリギリ待ってもらった結果なんですよ。
向かうところで何が待ってるかも判らずに、色々な人から餞別のプレゼントとか貰って、校門あたりまで見送ってもらったっけ?
そのまま伊丹へ父者の会社の人の車に乗って、
何も考えずに渡英しやがりましたよ、俺。
皆が皆、俺様のことを覚えてくれるよな、なんて
甘っちょろいこと思いながらね。
キリスト教ていうか、色んな宗教に対して愛想を尽かしたこともあって今はクリスマスのことを「異教徒の祭」て言ってるけどね、この時期はホント今の俺様がある限り、あんま思い出したくない頃なんだな。
いいなぁと思って入った学校で、ブラスバンドで、『先輩』て呼ばれることもなく、友人と一緒に卒業することもなく終わった、という動かぬ事実が凝縮されてるからね。
今ではもうあの学校の「出身者」でもないような気がするよ。(´▽`*)アハハ
それくらい虚しい受験と、入学と、入学してからクソ楽しかった8ヶ月でした。
それでも、生涯で一度も日本的な意味で「卒業式」というものを経験できなかったシルビアにとったら、俺様には少しでもそういった時期があることが羨ましかったのかもしれないな、とよく思っていました。
アイツが
ビデオテープ擦り切れるくらい、アニメの「おにいさまへ…」を見るのに付き合いながら、『多分判らんねやろな、こういう日本の学校のアレコレが』ていうのもあったし、『特に女子校特有の文化みたいなところはなぁ…入ってみな判らんことばっかやもんなあ』と思ってました。
だから俺様の短い中学の思い出から、色々話してやったこともありました。
原作もアニメも「おにいさまへ…」がベルばらより俺様にとって重いのは、こういうところがあるからなんですよ(笑)。生と死をのあれこれを問う話でもあるし、普通『青春の1ページ』とでも言えるようになるような時期の話でもある。
でも、俺様とシルビアの二人には、絶対に訪れることのない話だっていうのは、どっちも判ってた話。
詰まるところ、そういうことやったんやと思います。
あんな華やかな入学式もないし、華やかな生徒会もない。
授業もクラスは科目ごとに移動するし、一日中一緒にいるクラスメイトがどうのこうのなんて話は存在しない。
しかも中学から高校まで、女ばかりの世界、まるでジュニア版宝塚(笑)。
シルビアさんにしたら自分が俺様とは違ってイングランドに馴染み切ってしまっただけに、思い出したい日本の学校のことであり、知らない中高生活として摩訶不思議でもあり、同感できるところもあったのだろうと今では思います。何かどこか「憧れる」ようなところがあったのかもしれない、とも。
今では、サンジュストと宮様の関係や、薫の君の生き方についてシルビアさんがどう思っていたのか、判らないままですけれどね。
確かに振り向けば、俺様たちにも何かあることに違いはないと思います。
ただ、俺様には、語れることは大学のことしかないということ。
中学高校のことはあまりにも漠然としてしまっていて、嫌な思い出は脳みそがロックしてしまったみたいだし、断片的なことしかもう思い出せない。
「あんたはグラスゴーのことしか話さない」
ってよく親に言われてきたんですよね。
ここでもそう思ってる人多いだろうと思いますけど。
でも俺様からグラスゴーの思い出取り上げたら、何も残らなくなるんですよ。
チェスターなんか大嫌いだったし、
この間久し振りに戻った時もやっぱり大嫌いなことに変わりは無いなと痛感したし、事実、よく母者に付き合わされてナビした筈の道をちっとも覚えてなかった。(これはさすがにショックやったなあ……ナビゲーターとして)。
恩師と呼べる先生、今でも連絡してくれる友達はいるけれど、それだけ。
むしろ、
ここと決別することが目的で出席日数で落とされないよう渋々学校へ行ってたくらいだものね。
勿論恋愛もないし、そもそもマトモな人間関係ってのが無かったと今では思います。
だからこそ大学で「普通の人」が生きるように生きていくようなことをするだけで必死だったワケだしね。
春なハナシというと、モノ書きとして俺様よりはもう少しマシなロマンチシズムをお持ちのレイモンドさんは、渡辺美里の「
さくらの花の咲くころに」しか認めないと言います。
俺様もね、思い出して貰いたかった、色んな人に。
でもそれに相応しないことをしてきたのも事実だったからね。(藁)
その頃を噛みしめて思い出せるっていうこと自体、ある種の幸せだと俺様は思います。
具体的に思い出せないことがあるとしても、何かが残っていること自体がええなぁと。
存在ってそんなもんですよ。
ジャンヌの西校だって、無くなってしまうけどその分、覚えられ、思い出されていくわけだし。
その存在が無くなることで、『残る』ものもある。
シルビアさんの存在がそうであるようにね。
それに、高校野球なんてものとは何の直接的なリンクもないのに、西浦達男さんの歌に感動できるように、『同等の経験』は共感を生むけれど、
『残って』いないものは『同等の経験』を生むことも見つけることもできないワケでね。
そんな部分があまりにも多いから、俺様は
未だに自分の年齢を勘違いしているし、たくさんの人が感動できることに感動できなかったりする。
その分、
もっと貴重な経験をしてきたんでしょう?とよく言われるけれども、じゃあおまえ俺様の記憶や経験欲しいか?っていつでも思ってしまう。
哲学で俺様が一番厄介だと思ってる問題に、「唯我論(Solipsism)」ていうのがあります。
よく言う「俺はあんたの痛みが判らないし、あんたも俺の痛み判んないでしょ」っていう、人間は結局のところ誰とも知覚や経験を分かち合えないっていう、哲学全般における根本的な問題なんですけどね。
「振り向けば…」みたいなものを
ボンッと出されてメンバーに『めっちゃ感動する歌詞です』とか言われると、俺様はいつもこいつに
ガンッ!とぶつかるような気がするんですよ、要するに。
E.A.ポーが書いた、とされている詩の中に、こーゆーのがあります。
他の人たちが見たものを私は見ずに来てしまった
情熱を皆と同じ泉から汲むこともできず
皆と同じ源から悲しみを引き出すこともできず
皆と調子を合わせて喜びに胸を躍らせることもできず
何を愛するにしても― 一人きりで愛した
初めて読んだ時、人事じゃねぇよこれ、てヤツでしたね(爆)。
だから、もし「振り向けば…」で歌われていることに、少しでも『同等の経験』ていうのが含まれてりゃ少し何かは思うだろうな、とは考えてるワケです。
ただ、可能性としてそんなもんかなり低いやろな、と。
どちらにせよ、「卒業」とか
季節の旬な出来事を売りにシングル出したい、ていうセンチメント自体が判りませんわ。
このあたりの荒みっぷりは、既出のエントリのテンションのままですね。
普通ならかなり説得力のあるやちゅの説明なんですけど、今回ばっかりはGiGS もARENA もダメでした。
こんな風に、日本は段々と、社会に亀裂が入りつつあるね。
最近、ジャンヌからは何か「勝ち組」には言えるだろうけど「負け組」にはサッパリなこととかをよく感じるよ、俺様。
僻んでる、て言われたらそれまでだけど、どうせ上述したような人生ですから―!!(切腹!)
残念です。これだけはいくら気合があっても超えられません、しうじパパン。
「試練は乗り越えられない人に襲いかかりはしない」、じゃあ俺様が今面してるものは何だ、
シルビアさんが乗り超えられなかったものは何だ?
シルビアさんが乗り超えられなかったもの、あと数時間、それさえ待てなかったことは何か。
そんな事実を直視しなくてはならない俺様に、昔のことをウラウラと思い出してセンチメンタルカンガルーしている暇と余裕は残念ながらございません。斬首!
Bute Hall の下にある『回廊』から見た西中庭。どちらかと言うと古典科方面。
回廊すぐ近くにある桜。
Bute Hall (式の前は試験場)での卒業式。親族と卒業生の割合は多分7:3くらい?
幸運なことに卒業式の日が晴れならこんな感じ。東中庭だから式の前かな。
[Pitcures from University of Glasgow website]
ボッタクリ大学斬りィィ~!